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パトリックさんが亡くなったというニュースを先週読んだ。
知らない人は知らないだろうけれど、20年以上前から日本でDJをしていた人で、
性感染のエイズ患者であること
(患者だったんだろうか? 感染者? それを調べるのも気が重くなるからしていない)
ゲイであることを公にしていたアクチビストだ。
僕も正直、くわしいことは知らない。
彼に会ったのはたぶんニ、三回だけだし、
パトリックさんに会ったのはHさんで、僕はHさんの付き添いに過ぎなかった。
Hさんは日本で最初に性感染したゲイとして
マスコミの前に顔をさらした人だった。
たぶん覚えている人は少ないだろう。
当時はかなり大騒ぎになったのに、
亡くなって一年とたたない内にみな忘れてしまった。
生きている間は彼のまわりにほんといろんな人たちが集まってきたのに、
亡くなって一年たってもなんのイベントもなかった。
まわりにいた人同士で声をかけあうようなこともなかった。
(もしかしたら僕の知らないところであったのかもしれないけど)
亡くなって一年が経とうとしていた頃、Hさんのバディ
(仲間という意味。エイズ患者、感染者を支えるボランティアの人のこと。
エイズ、バディで検索すればたぶん意味がくわしく出てくる。
しかしこの言葉って今も使われているの?)
をしてくれたY原君から
「もうすぐ一年ですよね? 何かやらないんですかね?」
と電話がかかってきたことは覚えている。
「僕は知らないよ」と答えたら、
「そんな、ちょっとひどくないですか、どうして誰も言い出さないんだろう?」
とY原君は怒っていた。
あのまっすぐで立派な青年だったY原君ももう四十くらいになっているはず。
どうしているんだろう?
そうそう、そのY原君が連れてきたT林君も
Hさんのバディをしてくれたんだけれど
その後、パトリックさんのマネージャーを一年だか二年だかやったはずだ。
パトリックさんが亡くなったこと、聞いているだろうか。
僕はたぶん、彼らにあまり好かれていなかったと思うけれど、
僕は彼らがとても好きだった。
ノンケの男の子というだけでも可愛かったし、
エイズ患者のためのボランティアをやろうとするなんて立派だ。
僕がHさんに付き添ったのはたまたま巻き込まれた結果であって
もともとはそういうタイプじゃないから大違いだった。
当時、僕は残酷なことの大好きな歪んだ性格の青年で、
今もボランティアとか社会貢献とか、
そういうことに興味を持てない。
話を戻すと、
パトリックさんも同じことにならなければいいなと思うのだ。
ちゃんと彼のことをみなで覚えていられたらと思う。
ゴールデンウィークにゲイのパレードが
東京で行われるみたいで、そこで彼のための献花台みたいな
ブースが設置されるらしい。
そういうの、毎年続けばいいんだけど。
彼のように世の中のためになることをした人を尊んで
毎年ちょっとしたブースを設けるくらい
してもいいような気がする。
ただ、彼のまわりで彼の苦痛を見守っていた人に
そういうことをやらせないで欲しい。
たぶん、忘れたいはずだから。
パトリックさんのブースには
エイズで亡くなった人たちの思い出の写真とか、
その手のものを持ち寄って飾ることもできるとかなんとか、
そんなことを誰かのリツイートで読んだ。
僕もHさんの杖でも持って行こうかな。
そんなふうに考えたけれど、そういえばこの間の大掃除の時に、
その杖を捨ててしまったことを思い出した。
いつまでもとっておいてもしようがないし、
少しでも過去から離れたくて捨てたのだ。
杖を捨てたくらいで記憶が消えるはずもないんだけれど、
とにかく捨ててしまったことを後悔はしていない。
それで思い出した。
彼の写真もどこに入っているのかわからなくなっているのだ。
そもそも持っていないんだろうか。
遺品の整理をした時に、受け取らずに誰かに押しつけたのか。
そういうことも忘れてしまった。
もしかしたらもしかして、
当時のことを知っている人がこのブログを読んで、
なにも捨てなくたって、と思うかもしれないけど、
二十年もたったのにいろいろ忘れられなくて
苦しんでいるのはこの僕だから
文句は言って欲しくないような気がする。
Hさんとのことはいつか書こうとずっと思っていたんだけれど、
これから思いついた時に少しずつ書いていこうかな、
と考えています。
書けば気持ちが昇華されて、もう少しだけ楽になれるかもしれないから。
実際、Hさんに付き添って看取った経験からヒントを得て
僕はたくさんの小説を書いた。
つまり実証済みということ。
書く度に少しずつ楽になれたのだから。
官能小説だし、エロスなことがメインの小説でも、
そういう部分をぶつけることはできる。
「そんなもんに金払って読んでたのか」
と腹を立てる方もいるかもしれない。
ごめんなさいね。
でもどんな小説にもそういうところはあると思う。
作者のエゴや苦痛を取り込むのが創作物というものだろうから。
忘れたいから書くつもりだけど
たぶん書いたからって忘れられないんだろうなとも思う。
だってもう二十年たったのだ。
なのにまだ彼のことを思い出すと涙が出てくる。
これからさらに二十年たっても、
完全に忘れることはできないだろう。
まあしょうがない。
時間が止まっちゃったんだから。
テレビのバラエティ番組に出てくる
なんとかいう心理学者がいるんだけど、
その手のテレビ文化人というのはあやしげで
好きになれないところがある。
だけどある時、その人が、
「なにかつらい経験をすると、時間の止まってしまう人がいる。
何年経ってもそのことにとらわれて、ずっと前に進めない……」
そんなことを話していた。
その話を聞いて、あー、僕もそうだよな、とうなずいてしまった。
時間が止まったまま、二十年が過ぎてしまった。
馬鹿だな、と自分でも思うけど、
馬鹿とわかったからってなにも変わらない。
いまさらどうにもならないだろうから、
別に止まったままだってかまわないと思うようにしている。
きっと、時間を止めてしまう苦しみというものは
麻薬とかお酒みたいに中毒になるものなのだと思う。
自分を哀れむ感覚って甘いのだ。
甘くて気持ちがいい。
とても苦いものでもあるんだけど、病みつきの味。
だからしょうがない、このままなんとかやり過ごしていくしかない。
パトリックさんは困窮の中で亡くなったらしい。
どんなに立派なことをした人でも、
お金がなくちゃ生きていけない。
立派なことをしたからといって、誰かがお金をたくさんくれたりは、
普通しない。
悲しいことだ。
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